県知事認可専門学校 鹿児島外語学院GAiGO

ちゃわんむしの歌(英語版)とクイズのこたえ

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ちゃわんむしの歌 ダンス・ムービー公開中!
第4版掲載「大久保どんクイズ」の答え
第3版掲載「西郷どんクイズ」の答え
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ちゃわんむしの歌

ちゃわんむしの歌 英語版 ダンス・ムービー

「ちゃわんむしの歌」に、鹿児島外語学院(GAiGO)がオリジナル英語歌詞をつけ、鹿児島を拠点に活動するヴォーカル・デュオ おごじょ~ず と、地元のタレント事務所 清友(せいゆう)所属の じゃんけんマン とのコラボにより、歌って踊れるPVを作成しました。再生回数は1万回を超えて、ますます広がりつつあります。

日本語と英語の歌詞は、GAiGOが発行する「かごっま弁ブック」にも掲載しています。

鹿児島弁(オリジナル)
うんだもこら いけなもんな
あたいげんどん ちゃわんなんだ
日に日に三度もあるもんせば
きれいなもんごわんさ
ちゃわんについた虫じゃろかい
めごなどけあるく虫じゃろかい
まこてげんねこっじゃ
わっはっは
英語バージョン English lyrics by Michio Teshima
Oh I wonder what to say? I don't know
How dare you say whaccha gonna do now?
We wash it every day, everyone, everything
So what's that eating you?
Did you just say in the bowl there's a worm
No, I just said that the bowl was warm
Oh what a big laugh!
Wa ha ha!

歌:おごじょ~ず(古川絵美里・有川久美子)
動画編集・振付:じゃんけんマン
衣装協力:本場大島紬織物協同組合
ロケ地(撮影順):①鹿児島外語学院 ②石橋記念公園 ③天文館・泉公園の五代友厚像前 ④鹿児島中央駅前・若き薩摩の群像前 ⑤甲突川・武之橋電停近く

別バージョン(全4種)の動画は「鹿児島外語学院 YouTubeチャンネル」をご覧ください。

ちゃわんむしの歌

小学校の教師だった石黒ヒデさんが、1921年(大正10年)に学芸会のために書いた歌といわれています。ある茶店で客が「茶碗蒸し」を注文しましたが、主人は「茶碗についた虫」と勘違い。そんなはずはないと反論する店員とのやり取りを聞いて、お客さんが思わず大笑いするという歌です。現在は広く鹿児島県民に親しまれています。

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第4版掲載「大久保どんクイズ」の答え

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Q1. 大久保さんが趣味にしていたゲームはな~んだ?

  A 将棋  B 囲碁  C チェス

Answer: B 囲碁

大久保さんは「唯一の趣味が囲碁」と言われるほど碁を打つことが好きだったようで、愛用していた碁盤と碁石も残っています。大久保さんは、島津家第29代の薩摩藩主・島津忠義の実父の、後に「国父」として事実上の権力を握ることになる島津久光に近づこうとして、久光の唯一の趣味であった「囲碁」を通じて接近しようと考えます。同じ郷中出身の税所篤の実兄が吉祥院の住職「乗願」であり、久光の囲碁の師であることを知ると、乗願の弟子入りを画策します。そこで、祖父の手ほどきでかなりの腕前だった妻の満寿(ます)に徹底的に鍛えてもらい、わずか1週間程で満寿を凌駕する腕前に成長し、乗願に弟子入りします。その際、囲碁をしながら久光への忠誠心や自分の考えをほのめかし、乗願を通じて久光の耳に届くように仕向けます。これが功を奏し、久光が実権を握った後、34歳で御側役に大抜擢されることになりました。

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Q2. 大久保さんの子供時代の名前はな~んだ?

  A 正助  B 一蔵  C 吉之助

Answer: A 正助

*第4版初刷では誤字。誤「正蔵」→ 正「正助」

大久保さんは、下級藩士の大久保利世の長男として加治屋町に生まれ、その後、西郷さんなどと同じ下加治屋町で育ちます。幼名は「正袈裟(しょうけさ)」で、15歳の元服後は通称「大久保正助(しょうすけ)」、諱(いみな)は「利済」と名乗り、後に島津久光から「大久保一蔵(いちぞう)」の名を賜っています。しかし、島津久光の七男が諱を「久済」としたため、目上の人間と同じ漢字を使う諱を名乗るのは恐れ多いという習慣(避諱)に従い、諱を「利通」に改名しました。

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Q3. 大久保さんの好きだったお酒はな~んじゃ?

  A ウォッカ  B ワイン  C 焼酎

Answer: B ワイン

明治初期、内務卿の大久保さんは、維新後の殖産政策にブドウ栽培とワイン生産を積極的に取り入れようとした北海道の開拓次官の黒田清隆に共感し、官主導によるブドウ栽培とワイン生産を試みますが、失敗に終わります。しかし、この当時の様々な試みが、後の日本ワインの発展の礎になっていると言えます。

なお、ワインと言えば、「カリフォルニアの葡萄王(ワイン王)」と称された長澤鼎(ながさわ かなえ)。1865年に13歳で薩摩藩英国留学生として英国に渡り、その後、アメリカ・カリフォルニア州で有数のワイナリーを築きました。サンタローザのワイナリーは甥の伊地知共喜が継ぎ、その後も、一部はパラダイスリッジ・ワイナリーとして継承され、敷地には記念施設も作られていましたが、2017年10月の山火事で全焼してしまいました。しかし、「ナガサワワイン」は現在もオンラインでも購入できます。薩摩のサムライの魂が入ったワインを、ぜひご賞味あれ!

参考:殖産興業の発展をワインに懸けた、大久保利通・藤村紫朗

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Q4. 大久保さんの子孫にあたる政治家は誰?

  A 安倍晋三  B 小泉純一郎  C 麻生太郎

Answer: C 麻生太郎

大久保さんには、正妻の満寿子との間に5人の子ども(男4人と女1人)、妾のおゆうとの間に4人の男の子という、9人の子どもがいました。満寿子との間の長男・利和は、後に政治家・実業家として、岩倉具視と日本初の私鉄「日本鉄道」を設立。次男の伸顕は外務大臣、三男の利武は政治家・通訳、おゆうとの間の八男は銀行頭取など、エリートを輩出しています。その中でも、次男の伸顕の娘・雪子は、歴代最多の5度も内閣総理大臣を務めた吉田茂の妻であり、その孫が麻生太郎です。つまり、麻生太郎は大久保利通の玄孫にあたります。

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第3版掲載「西郷どんクイズ」の答え

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Q1. 西郷さんが愛犬によく食べさせていた魚はど~れだ?

  A ウナギ  B キビナゴ  C ブリ

Answer: A ウナギ

西郷さんは子供のころからウナギ獲りの名人でした。奄美大島での潜居時代に猟犬を伴った猟を始めた西郷さんは、その後、生涯にわたって猟犬を多数飼い、寵愛します。ウナギ屋では犬の分も注文し、法外な大金を置いて行ったというエピソードもあります。京都・祇園のお茶屋でも常に犬を座敷に上げ、芸者遊びはせずに犬に鰻飯を食べさせて帰っていました。そんな西郷さんは祇園辺りでは「粋」と評判だったようです。ただ、そんな食生活から肥満になり、猟犬として役に立たなくなった犬もいたとか。

B のキビナゴは鹿児島の郷土料理。特に刺身を甘い酢味噌で食べるのが鹿児島流。

C のブリは鹿児島県薩摩川内市の長島が養殖日本一。

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Q2. 東京・上野の西郷さんが連れている犬のモデルはど~れだ?

  A マヤ  B サワ  C ツン

Answer: B サワ

「サワ」は薩摩出身の海軍中尉 仁礼景範(にれ かげのり)が飼っていた桜島産のオスの薩摩犬です。

C の「ツン」は現在の鹿児島県薩摩川内市出身で、虎毛・左尾のメス犬で、西郷さんが熱望して手に入れました。銅像の写真を見て心当たりの犬の名前を挙げる人が相次ぎましたが、その中で最も有名なのがツン。そのため、モデルがツンだと思っている人が多いようです。

A の「マヤ」は、長野県出身でその後生涯を鹿児島で過ごした動物児童文学者 椋鳩十(むく はとじゅう)が戦前飼っていた日本犬の名前。戦時中の犬の悲劇を描いた有名な「マヤの一生」のモデルです。椋氏は生前、鹿児島外語学院(GAiGO)の顧問を務めていただいており、当時学院が手掛けていた「子供英語ミュージカル」でも「マヤの一生」を上演しました。

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Q3. 鹿児島で「西郷星」とも呼ばれる星は次のうちどれじゃ?

  A 火星  B 木星  C 金星

Answer: A 火星

西南戦争があった1877年9月、火星が大接近していました。火星だとは知らない当時の庶民の間で「急に現われた異様に明るい星の赤い光の中に、陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿が見えた」という噂が流れ、西郷星と呼ばれて大騒ぎになりました。因みに、火星の隣にあった土星は西郷の参謀桐野利秋の名に因んで桐野星と呼ばれました。

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Q4. 西郷さんの2番目の妻「愛加那」さんの出身はどこかしら?

  A 徳之島  B 奄美大島  C 沖永良部島

Answer: B 奄美大島

1858年の「安政の大獄」で鹿児島に逃れた西郷さんは、同志で京都の僧 月照を抱えて錦江湾に身を投じました。西郷さんだけが蘇生しますが、西郷さんを慕う同志が藩内で台頭しつつある一方で、幕府のお尋ね者である西郷さんをこれまで通りに遇するわけにもいかず、薩摩藩は、幕府には西郷さんの死亡届を出し、奄美大島に潜居させました。そこで面倒を見ていた龍一族の娘 愛加那(あいかな)と結婚しました。愛加那との間には菊次郎(後に台北県支庁長、宜蘭庁長、京都市長などを歴任)と菊子が生まれ、その後、1862年に鹿児島に召喚されました。

しかし、同年に藩の実権を握っていた「国父」島津久光の怒りを買い、徳之島、その後沖永良部島に流罪となります。流刑当初の過酷な境遇を経て、西郷さんは人格を磨き、「敬天愛人」という座右の銘を導き出しました。

「かごっま弁ブック第3弾 西郷どん特集ページ・クイズ」参考文献

  1. 『詳説 西郷隆盛年譜』
    編集者:山田尚二  発行所:公益財団法人 西郷南洲顕彰会
  2. 『西郷隆盛はなぜ犬を連れているのか 西郷どん愛犬史』
    著者:仁科邦男  発行所:株式会社 草思社
  3. 『NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 西郷隆盛 その伝説と実像』
    著者:町田明広  発行所:NHK出版

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